スポードは、1770年イギリスのスタッフォードシャー州ストーク・オン・トレントに設立された歴史ある英国の名窯です。
スポードは、銅版転写による下絵付けの技法と、ボーンチャイナの開発という英国窯業にとって最も意義のある重要なものを確立させたことで知られています。
1733年イギリス窯業中心地であるストーク・オン・トレントの貧しい家に生まれたジョサイヤ・スポード1世は、6歳で父を失うとわずか7歳で陶工としての人生を 歩み始めました。
16歳で当時のその場所で一番の名を誇るトーマス・ウィールドン陶工のもとに従弟入りすると、その5年後には熟練した技術をもつウィリア ム・バンクスのもとで働き、ブルー&ホワイトと呼ばれる白地に青の絵付けを施した陶器作りに励み腕を磨いていきました。
そして1770年、長い道のりだった下積み経験を経て、遂にスポードは念願の工場を設立しました。
ジョサイヤ・スポード1世は、自社工場を設立すると30年間培ってきた技術の全てを、
銅版転写による下絵付けの技術開発とボーンチャイナ生成のために注ぎました。
1784年、銅版転写による下絵付けの技法の開発に成功すると、次はより白くて透光性の高い
ボーンチャイナ生成のための研究開発に励むことになります。
1796年にはボーンチャイナの完成まであと一歩というところまで辿り着いていました。
一方父であるジョサイヤ・スポード1世のもとで修行を重ねたジョサイヤ・スポード2世は、ウィリアムコープランドと共にロンドンへ進出し、スポード製品の 販売に乗り出しました。
当時オランダの東インド会社は、1773年以降中国からの陶磁器の輸入量を減らし始め、窯業者達は中国製品に取って代わる製品を作 ることで賑わっていた時期でもありました。
そして1784年にそれまで紅茶にかけられていた莫大な税金が劇的に減少するようになると、
紅茶の普及により ティーポットやティーカップの需要が急激に増加し始めます。
こうしてイギリスでのテーブルウェア市場が急成長を遂げると、その波に乗ったジョサイヤ・ス ポード2世は、ウィリアム・コープランドと共に着実に実績を上げていきました。 父ジョサイヤ・スポード1世が亡くなってからわずか2年後の1799年、ジョサイヤ・スポード1世の遺志であった未完のボーンチャイナへの追求は、ジョサイヤ・スポード2世によって遂に完成されることになると、スポードの名声は更に確立されていきました。
1806年には、ウェールズの王子ジョージ4世が訪れたことがきっかけに英国王室御用達の証であるロイヤル・ウォラント(英国王室御用達許可書)を授与さ れたスポードは、英国屈指の窯となり、確固たる地位を築き上げていったのでした。
以来スポードは、英国窯業界の担い手としてだけでなく、当時からストーク・オン・トレントで窯業を営む最も古い窯として、今も伝統ある技法を受け継ぎながら世界の人々を魅了する新しい製品を発表し続けています。
